第1回ポーランド市民交流友の会主催 市民交流ツアー記録

Home

浜松市は、平成2年にポーランドワルシャワ市と『音楽文化友好交流協定』を締結し、以来平成8年には、ポーランド国立オペラハウスで公演する『ジャパンデイー』を開催、多彩な文化交流事業が進めています。また、昨年には、キュリー夫妻のラジウム発見百周年にあたり、キュリー夫妻科学展を開催しました。浜松市のシンボルになっているアクトタワーにショパン像のレプリカがあります。毎月そこで、浜松の子供達がショパンの広場ミニコンサートを開催していますが、今年の夏休みには、ワジェンキ公園の実物のショパン像の前でコンサート開催する予定です。

市民レベルで音楽と文化の国ポーランドとの市民交流を広げ、幅広くポーランドを紹介している『ポーランド市民交流友の会』は、昨年度8月にショパンの母校国立ショパンアカデミー学院で夏期セミナーを企画し開催。嬉しいことに、浜松市出身のセミナー参加者が、夏期セミナーの成果を生かし、同年11月にビドゴシチ市で開催された、国際パデルスキーピアノコンペテションで日本人初の優勝という快挙を成し遂げました!
今回ご紹介する、市民交流ツアーは、昨年度次のように行われました。

日程 平成10年9月21日ー9月27日
1日目:ワルシャワ到着
2日目:ワジェンキ公園、ヴィラノフ宮殿観光、市民交流パーテイー&ホームコンサート
3日目:ショパン生家、列車にてクラコフへ、St.Catherine 教会にてコンサート鑑賞
4日目:アウシュビッツ、スカンセン観光、民族レストランで夕食会
5日目:ヴァヴェル城、ヴェリチカ地底広場で通過証明書授与&セレモニー夕食会
6日目:クラコフ〜ワルシャワへ列車で移動、旧市街観光、グッバイパーテイ
7日目:ワルシャワー名古屋
8日目:解散

 ヴィスワ川沿いにそびえるヴァベル城

ワジェンキ公園ショパン像の前で

会長ヤブロンスキーの家庭で開かれたホームパーテイーでは、ポーランド人の生活を垣間見ることができたのではないかと思います。中央駅から完成されたばかりの新しい地下鉄に乗って会長宅へ集合。郊外にはカラフルでモダンな高層アパートが競争のようにあちらこちらに建築中でした。『こんなにいっぱい建てて、買う人いるのかな?』と心配する声もチラホラ。

厳重にオートロックされたドアを何重も開けながら、ヤブロンスキー家の扉をひらくと、さっそくフィルハーモニー楽団の吹奏カルテットが歓迎演奏会。ポーランド人家族一同による手作りの家庭料理が並べらていました。両手に抱えきれない大きな鮭のホイル焼きを見て、これを焼けるオーブンが家庭にあることに感心し、『飲んで、飲んで。』とおもてなし上手のポーランド人の歓迎に、慣れないウオッカに盛り上がりました。

      市民交流パーテイ 会長宅にて

   ワルシャワオールドタウンで賑わうショッピング


ワルシャワの住宅状況は、一軒家よりも、アパートでの生活が一般的。建物全体が警備され、管理されているから安全で便利だからと、過去の歴史的体験も含めて会長の解説。

最近のアパートは室内の装飾や間取りのアレンジはオーナーの個性で各世帯それぞれ工夫されています。


いたるところ記念碑だらけの歴史の国ですから、観光地先では学校の先生の案内で見学に来ている子供たちにであいます。先生が一生懸命説明しているのですが、子供達はまだまだ珍しい日本人のほうに興味あるのか、私達のほうをいつまでも見ていました。
『ポーランドのパブやレストランは時々想像のつかないの所にありますね。』と一言感想。その通り、一見空きビルかなと思ってドアを開けると、骨董品を並べた洒落たレストランであったり、怪し気な地下を潜るって降りて行くと華やいだパブだったり、地元の人しか分からないお店が隠されています。ドクタークラブもその一つです。
ワルシャワのダウンタウンの街角をふらっと曲がると、素っ気無い建物、良く見ると入り口の上に看板らしい小さなプレート が張られていました。

重い鉄扉を開けると、がっしりしたカウンターのクロークがあり、背の高い老人がニコリともせず出迎えていました。至る所に歴代院長の肖像画がが飾れています。ここは、戦災を逃れた貴重な建物です。戦前は個人のアパートでしたが、戦後ドクター協会が所有し、医師会の会合やパーテイーによく使用されています。私達はそこでポーリッシュ料理の昼食会をしました。何人かの医師が昼食後の時間をワイン片手にのんびりカード遊びしている姿も見られました。ポーランドの昼食は最近の社会情勢で食事をとる時間や食事のスタイルが変わりつつあると言われていますが、まだまだ、昼食時間が3時だったり5時だったり、のんびりゆっくりワインやビールを飲みながら、楽しんでいる風景を見かけます。私達も、ウオッカからはじまり、茸スープ、ピエロギ、サワークラウト、コッロレットスハボーヴィなど、その味の珍しいことや不思議に日本人の舌にあうことに満足しました。

『アウシュビッツはどうでしたか?』と聞かれます。
ツアー企画当時、私達は現地で日本語の通訳を準備するかどうかと迷いました。
会長が『アウシュビッツは、何の説明もいりません。見ればすべてが分かります。』と言われ、今それを納得しました。
「狭い廊下を小走りで抜けて、この壁に順番に裸で立たされて、銃殺です。」会長の一言の説明で、それ以上の詳しい説明が無くても私達は、彼等の堅く閉じた唇、怯えた目を見ることができました。イスラエルの生徒達が大勢来ており、国旗をもって、花束を捧げお祈りをしていました。日本での開戦時の教育はベールに包まれ日本軍の恥部は海外から逆に知らされるという歴史教育の難しさは、ドイツでも共通していることをヤブロンスキー会長の解説から感じました。

その夜は、クラコフの民族レストランで夕食会。美しいポーランドのシンガー、透きとおる白い肌と大きな目。ギターにあわせての響わたる歌声が、特に哀しく心に染みたのは、アウシュビッツの印象が強烈だからでしょうか?丸太ん棒がむき出しのテーブル、古い農機具を無造作においたレイアウト、その素朴さが有名なレストラン、大きなポークを骨ごと焼いたポーランド料理と、ビールにウオッカ、アコーデオンにバイオリン演奏、ダンスまで登場。私達のセンチメンタルはいつのまには賑やかな宴に盛り上がっていました。

たぶん皆さん、ヴェリチカで地底への長い長〜い木の階段をどんどん降りて行きながら、帰り道を心配したと思います。一度地底へ追いやられたら、視力を失うから二度と地上へは戻れない馬達。生活を回復するために、シャンデリア、マリア像まで岩塩に彫り、飾りあげた地下礼拝堂。『命懸けだな〜。』、私たちはこの厳粛な気持ちを地底通過認定証書授与式で、さらに確認しました。羊皮紙に通過者達それぞれの名前と烙印まで押された認定証書、承認役員の差し出す剣の儀式を受けてそれを一人一人が授与しました。その後、地底ホールでポーランド料理デイナー。

『このスープに浮いているのは天カスですか?』と小声で聞かれ、
「うどんが恋しいのかな〜。この地底は、寒かったのかな〜。」しかし、200Mの地底のお土産売り場で、2キロの塩を3つも4つも買い込むファイトに爆笑しました。『岩塩は大変体にいいので、大勢の人々が治療に来ました、』の一言が利いたのかな??


ヴェリチカ地底通過認可証書授与式 剣を肩に受け緊張!

ワルシャワ〜クラコウ間の列車の旅は大好評でした。コンパートメントの席で遠足気分。窓からは、広がる平原、散らばる農家の煙突から流れる煙、馬を曳いて畑を耕す風景。2時間なんてあっという間。しかし、中央駅やクラコウ駅では、ひと目で分かる日本人団体旅行者は、スリグループの餌食です。駅の階段ででスーツケースを持ってためらっていると、来るわ来るわ『持ってあげましょうか?』の男達。もしかしたら本当の親切心かもしれないのに。悲しいことに100%疑い、一緒になってスーツケースを運ぶ。クラコウのタクシーで座席にカメラを忘れてしまいました。全くそれ気がつかないで、中央広場の織物会館で狂ったように激安のこはくのアクセサリーを買い漁っていると、『カメラを忘れています。』と声をかけられビックリ。その運転手は途中で忘れたカメラを車の中に見つけ、中央広場まで引き返し、わざわざ落とし主のドジな日本人を探し歩いたそうです。かと思うと、高価なペンダントヘッドを落としたと青ざめて「もう、だれかに拾われた!」と騒いでいたら、ちゃんとホテルのベルボーイが拾って預かっていてくれたなど、大変正直で親切な心に打たれました。とかくぼんやりの日本人は旅行には特に警戒心は必要です。ポーランド人は日本人の何倍も用心深く疑い深いと思います。

ポーランド人の会長を通し垣間見たポーランド。訪問する度に違って見えるポーランド。そして、愛国心の強いポーランド人。それらに益々魅せられてしまう私たち。
今年のポーランド市民交流友の会は「ピアノ教師のためのセミナー」(ワルシャワ市 6/27〜7/9)「ショパンアカデミー学院夏期セミナー」(8/21〜9/2)そして、再び「市民交流ツアー」(10/5〜10/12)に企画しています。「市民交流ツアー」は、ヤブロンスキー会長のポーランド歴史の解釈やポーランドのエピソードに耳を傾けながら、ポーランドを実体験する旅です。興味の有る方、またはまだポーランドへ行っていない方は是非御参加ください。私たちは大好きなポーランドを見せたいのです。
(平成10年10月末付)

Home