ブレハッチを訪ねて/ドイツ〜ナックオの旅

3/19-3/25.2007(ポーランド市民交流会主催)報告:影山美恵子)

ナックオの駅に到着したら、出迎えていました。感激しました。

ラファウブレハッチファン20名が、ブレハッチを訪ねてドイツミュンヘンのコンサートを鑑賞。その後、ブレハッチの住むポーランド・ナックオを訪れ、家族と共に心暖まる交流会をして、喜びに浸り帰国しました。下記、ラファウからお礼のメールをいただきました。(5/26,2007)

★日 程

3/20 ドイツミュンヘン、レジデンス宮殿での演奏鑑賞/楽屋を訪れ、その後、宿泊先ホテルで御対面。「日本から友だちが来てくれました。」と言葉に、涙する参加者達。

3/21 終日自由  翌日3/22 ミュンヘンーポーランド・ポズナン〜ビドゴシチへ移動

3/23 ナックオへ ラファウ、お父さん、妹パウリナが駅まで出迎え。歩いてラファウが卒業した中等高等学校を訪問、校長の案内で学校内を紹介。卒業生ラファウと日本人団体に、学生達も歓喜!

妹とおどけてみせる、コンサートでは見られないリラックスしたラファウ(母校学校案内で)

その後、御自宅へ。私達のために、お母さんの手作りお菓子で歓迎。しばし、ラファウの演奏と記念写真、握手ほか盛り沢山の交流。日本から家族が訪れた雰囲気で大歓迎でした。

ラファウの原点、教会へ。牧師さんがラファウの幼少時代からのお話。そして、奉仕したオルガンを演奏。最後の曲の『アベマリア』に影山感涙する。ほか、涙なみだ、、、。御家族、いとこさんも参加し、皆で遅い昼食。別れが辛かった。

3/25 ビドゴシチのラファウの通う音楽大学を訪問、副学長が学内を案内。日本からブレハッチファンが訪問ということで、テレビ取材まで。全国ニュースに流れる。

3/26 思い出満載で帰国。

参加者・渡辺まなさんイラスト(レストランでの会食、ラファウと影山)

(参加者Yさんからの感想1)

言葉では言い表せないほどの感動を味わいました。

本当に生きていてよかった〜っと改めて思ったほど・・・

ナックオの駅に着いた際、ホームのむこうにパパ、パウリナちゃん、そしてラファウ君の姿をお見かけした時には目を疑いました。まさかお出迎えだなんて、夢か現実か・・・そして一人一人に握手でご挨拶して頂き早くも舞い上がってしまいました。

素晴らしいファミリーと環境に囲まれたラファウ君の人柄が手に取るように伝わって参りました。演奏会後でお疲れにもかかわらずご自宅ではリサイタルかしら??と思えるほど沢山の演奏を披露して下さいました。

リクエスト曲を喜んで沢山演奏してくれました(自宅)

本当に楽しそうに・・・パウリナちゃんとの連弾はとっても可愛らしく・・・

こんなに間近で聴けるなんて心臓が張り裂けそうでした。

そして教会ではオルガン演奏までして頂き、今でもあの心にしみいる音色が頭の中に鮮明に焼きついています。

お陰さまで本当に貴重な体験が出来ましたこと、感謝の気持ちで一杯です。

今は早くも6月の公演が待ち遠しい限りです。(終)

笑顔を絶やさず、ファンを大切にしてくれました。ありがとうございます。感激です。

   6月コンサートの詳細

http://info.pia.co.jp/et/promo/classic/rafal_blechacz.jsp

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5月発行月刊「ショパン」「ピアノスタイル」「ムジカノーヴァ」で『訪ねての旅』記事掲載で詳細紹介される予定です。御覧下さい。

ブレハッチの通う音楽大学を訪問中にテレビ局で取材。このニュースは、ポーランドでいうところのNHKで(ポーランド国営TV)放送。そときの記事がインターネットに!

http://ww6.tvp.pl/394,20070325477068.strona

日本語訳を記事提供者のスプリスガルト 友美( Tomomi Splisgart)さんが寄せてくれました。ファンクラブページに掲載されています。

http://blogs.yahoo.co.jp/ra_piano2005/MYBLOG/yblog.html

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片桐会長の心暖まる旅のたより。ラファウへの愛が満載です。

ミュンヘンでの再会 2007/3/20

ブレハッチファンクラブ会長 片桐章利

日本ではようやく桜の開花が宣言され、季節は春本番へと向かう中、私達は雪の舞うミュンヘンにいました。

格式のあるレジデンツ宮殿の中のホールにて、初登場となるラファウ・ブレハッチの演奏会が開かれようとしているからです。

浜松・ショパンの両コンクールにて、既に日本での知名度は高いものとなっているものの、ヨーロッパではまだ駆け出しピアニストの一人にしか過ぎません。果たしてポーランドの隣国ドイツでは一体どのように受け取られるのだろうか?ミュンヘンのこの美しいホールの中で、私は不安と期待の入り混じる、複雑な心境の中にありました。開演前に会場内でラファウのお父様の姿をお見かけし、歩み寄って再会の握手を交わすことが出来ました。私の心境とは裏腹に、初めての地でのお父様の表情はとても落ち着いていました。直前に聞いた情報では、ミュンヘンの数日前に行われた演奏会にて非常に良い評価を得たとのとこでした。その落ち着きはおそらくそこから来ているのかも知れません。開演は20時からと、日本での通常の演奏会より一時間も遅い始まりでした。やがて舞台に登場したラファウの姿はといえば、日本で見るものより心持ちハツラツとしていたような気がします。

演奏後の再会、片桐会長とラファウ(滞在先のホテルで)

プログラムは、

1.ハイドン ソナタ52番

2.ベートーベン ソナタ2番

−休憩−

3.ショパン 舟歌

4.マズルカ 作品50

5.ワルツ 作品34

6.英雄ポロネーズ

椅子に座って気を落ち着けると、意を決したかのように弾き始めました。その高らかに朗々と鳴り響く冒頭のアルペジオに、ミュンヘンの聴衆はとてもビックリした表情を見せました。おそらく「こんなに細身の子から?」とでも思ったのでしょうか?私はその様子を後ろから見て、何かとても面白く思えました。でも確かにこの日のラファウの演奏には、何か漲るエネルギーのような物が感じ取れました。軽やかなテンポに美しい音色、愛らしい表情に満ちたハイドンは、初めて接するミュンヘンの聴衆への挨拶には持って来いの曲だったと思います。ベートーベンのソナタは、浜松コンクールの3次予選でも弾いた曲です。当時の若々しい演奏と比べると、まるで彫刻刀で更に彫りを深く仕上げたような、表情の陰影の付け方に成長の跡を感じ取れました。ハイドン、ベートーベンといえば、同じドイツ語圏の作曲家です。ミュンヘンの人達にとって、ラファウの演奏はどのように受け取られたでしょうか?少なくともあの拍手の様子では、異国語を聴くような違和感は無じさせなかったとっています。休憩を挟んでのショパンは、間違いなく全世界の人々にお勧めの曲です。やや高揚の度合いを高くしたようなバルカローレはまるで、「いてもたっても居られない、一刻も早く聴かせたい。」そんな感じで弾いていたように感じ取れました。得意のマズルカではブラボーが飛び、嬉々として、それでいてエレガントな34−1、憂いとためらいの表現が見事な34−2、そして華やか極まりない、快速に駆け抜けた34−3等、ラファウの魅力全快といったワルツの演奏には会場の聴衆も喜びを禁じ得ません。その雰囲気を感じ取ったのか、トリの英雄も一層情熱の度合いが増したようでした。アンコールには十八番のマズルカOp.56−2で応え、尚も収まらない聴衆に、モシュコフスキーの「花火」を披露してくれました。その首を横に振りながら演奏する姿は、曲調と相まってとても楽しげでした。何度もカーテンコールで呼び出されるラファウは、ミュンヘンの聴衆にもしっかりと好感触を与えられたことと思います。終演時間は既に22時を過ぎてしまいましたが、楽屋口には一目お目に掛かろうとする人達で長い行列が出来てしまいました。おかげで日本から駆けつけた私達と会場で接する時間が無くなってしまい、とうとうラファウが宿泊するホテルのロビーでの対面に変更となるほどでした。

時間も深夜に迫っているにもかかわらず、ラファウは全く疲れを見せてはいません。まずは「今日はそしてとても良い演奏をありがとう。本当にお疲れ様でした。」と挨拶するも、あまりに元気なので逆にこちらが心配するくらいです。本人に今日の感想を伺うと、「これは本当に」という前置きをしてくれたうえで、「ミュンヘンに来たのは今回が初めてで、当初はとてもナーバスになっていた。しかし日本からのツアーの話を聞いて、そして実際に皆の姿を見てとても勇気が沸いてきた。」という返事が返ってきました。そういえば今日の演奏会での登場や演奏のあちこちに、高揚を隠しきれないような様子が伺えましたが、あれがその一端だったと信じたいと思います。続けて「お陰でに非常に良いコンディションで演奏ができ、こちらこそお礼を言いたいです。」とも。おそらくラファウのことですから、私達がいなくとも今日のような演奏は出来たことでしょう。でも日本から来た私達を、会場を変えてまで快く迎えてくれたことや、その優しい言葉と表情に、彼の人柄が色濃く感じられました。

ラファウの暖かい歓迎のおかげで、まだ真冬の雪の降る夜でも、

寒さを感じることなく帰路に着くことが出来たのは言うまでもありません。余談ですが、実はラファウがミュンヘンで滞在するホテルは、当初三ツ星のホテルだったのだそうです。しかしミュンヘン公演の前の演奏会での評判がとても良かったため、主催者側より急遽五ツ星へと変更されたということでした。ラファウのヨーロッパでの演奏による名刺交換は、今のところ順調に進んでいるようです。まずは一安心。

ラファウが触れたピアノを試してみる片桐会長(ビドゴシチの大学で隠し撮り!?)

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ナックオでの触れ合い 2007/3/23

ミュンヘンでの再会から3日後、このツアーの「もし可能であるなら…」という願望だったことが、間もなく叶えられようとしています。

私達はラファウの通ったアカデミーのある、ビドゴシチにいました。そしてこれから彼の住むナックオへと向かおうとしています。ビドゴシチからナックオまでは列車を使っての移動です。駅のホームに溢れた日本人の姿を見た現地の人達は、さぞ違和感を覚えたことでしょう。到着した列車に雑然と群がり、早い者勝ちで乗り込む現地の人達に紛れて、列車のシートに座るのはとても大変でした。ただでさえ珍しい日本人です。

シートの隣や正面に間近で座られたポーランド人達には、まるで色眼鏡で見られているかのようでした。

しかし検札をするためにやって来た車掌さんが私達の席の所くに来ると、

「この人達はピアノのラファウ・ブレハッチ会いに行くんだよ。」と周りのポーランド人達に話をすると、みるみる私達を見つめる視線が柔らかくなって行くのに気が付きました。この時点で既にラファウにもてなされたような気がします。

ナックオまでの風景はとてものどかなもので、車窓からは果てしなく続く平野と農村が、次々と通り過ぎて行きました。ナックオ駅へと列車が到着すると、思わぬサプライズが私達を待ち受けていました。なんと降りたホームの向こう側に、私達を出迎えに来てくれたラファウと妹、そしてお父様の姿があったのです。思わず歓声を上げる私達を、小雨降る中わざわざ出迎えてくれたのでした。

駅から歩いて行く周りの景色はというと、本当にのどかな田舎町の佇まいです。

線路沿いの道の脇には古いレンガ造りの工場や、昔からある小さな商店などがあり、生活を脅かすかのような危険なものが何も見当たらない、まさに車窓からの風景の延長線上といった感じです。

片桐会長に話しかけるラファウ(手前右が片桐会長)、訪れた母校で。

徒歩で5分くらい歩いたでしょうか、まずはラファウの母校へと案内されました。「この町に日本人がやって来ること自体が事件である。」と聞いていたのは本当でした。校長先生にラファウも学んだ教室へと案内されると、わざわざ授業を中断してまで、生徒達が私達を出迎えてくれました。その中にはラファウの従妹の姿などもあり、こんな予期せぬ対面ができるとは、まさに彼の地元ならではのとても微笑ましい光景です。社会科の授業では、私達にポーランドの地図を指して解説するブレハッチ先生が誕生。

ツアーの方の中で本人に「もしピアニストにならなければ」という質問をしたところ、「地理か歴史、あるいは国語の先生になっていたかも。」との答えが返ってきたそうです。また校長先生の話によると、在学中のラファウの成績は、なんと日本で言う「通信簿オール5」の優等生だったそうな!!。休み時間で廊下に溢れ出した生徒達の間を縫って、備え付けのアップライトピアノのある講堂へと案内されました。

地元想いのラファウは、ショパンコンクール優勝後に真っ先にここで演奏会を行ったのだそうです。そしてそのアップライトピアノによる「雨に歌えば」を、妹とのデュオを披露してくれるという、兄妹による粋な演出もありました。

今や世界を飛び回るラファウですから、当然彼はこの母校のヒーローです。なかなか会えない偉大な先輩にサインをもらおうと、生徒達までがラファウを囲むという光景も見られました。

場所はブレハッチのお宅へと移動します。

こんなに大勢で押しかけてしまうのは、とても心苦しいことだと思ったのですが、ご家族の方々のご好意で、お宅にお招き頂けることとなりました。室内はどこもきれいに整頓され、清潔感で溢れていました。これは日頃からの、お母様の行き届いた家事の証だと感じました。ピアノのあるラファウの部屋へ通されると、テーブルにはお茶とお菓子が用意されていたのですが、その中にあるお母様お手製のケーキは、勿体ないくらいの美味しさでした。自宅でのラファウも、私達との交流の機会を大切に思ってくれ、持って行ったプレゼントの受け取りにも、写真撮影にも快く応じてくれました。しかし何よりも私達を喜ばせてくれたのは、間近でピアノを弾いてくれこたとです。本来なら演奏ツアーの直後ですから、本人の疲れもあることでしょう。

それは今回の訪問同様、「もし可能であるなら…」という願望に過ぎませんでした。

もちろん本人にお願など出来るはずもありません。にも関わらずピアノの椅子に座ると、途中、休憩や談笑も入れながら弾いてくれたその曲たるや、

ショパン ワルツ Op.34−3

モシュコフスキ 花火

バッハ イタリア協奏曲 第3楽章

ショパン プレリュード Op.28−23

ショパン プレリュード Op.28−16

ショパン マズルカ Op.56−2

ショパン ワルツ Op.64−1(小犬のワルツ)

リスト 小人の踊り

リスト ハンガリー狂詩曲 10番

ラファウからのプレゼントの『ブレハッチ』写真集を手に!

図らずしもプライベート・ミニリサイタルとなってしまいました。

驚くことに、その時が自宅のピアノのファーストタッチだったとのこと。

しかし何より本人が、私達をこんなに目の前にしながらも、とてもリラックスして弾いてくれたことが印象深く、私もその姿を間近で確認することが出来てとても安心しました。最後に、正面で見守る妹のパウリナを呼び寄せると、「雨に歌えば」の心和むデュオの再演、そしてリストのリゴレット・パラフレーズで幕となりました。

短い時間ながら、こんなにも私達と身近に接してくれたラファウはもちろん、こんなに大勢の来客にもかかわらず、まるで遠くから来た親戚のようにもてなしてくれたご家族の皆さんの、本当に暖かい心遣いには、言葉に表しきれないほどの感激を覚えました。

寒い外とは裏腹に、もはや熱気で夏のような室内となったお宅を後にすると、ラファウが小さい頃からオルガンを弾いていたという教会へと向かいました。見るからに人望の厚い暖かい人柄を感じる神父さんには、この町と教会の歴史、そしてラファウがどのようにしてオルガンを弾いていたかなど、とても興味深いお話しを伺うことが出来ました。ラファウはといえば、やがて待ちきれないようにオルガンのステージに駆け上がると、まるで小さい頃から遊んでいる玩具を扱うかのように、次々とオルガンのセッティングをし始めました。とても好きだというバッハの曲から、プレリュード、トッカータとフーガ、ショパンのプレリュードから2曲、アヴェ・マリア、果ては結婚行進曲まで披露してくれるという贅沢さ。彼はいつオルガニストに転身してもおかしくないくらい、自在にオルガンを操っていました。

教会でオルガンを演奏するラファウを見守る片桐会長(右から二人目)

こうして生まれ育った場所で生き生きとしている彼の姿を見ていると、長年慣れ親しんだこれらの環境を大切にし、この地を心から愛しているという気持ちがひしひしと伝わってきます。

その慣れ親しんだ地のレストランでの遅いランチは、ブレハッチ・ファミリーとポーランドの伝統的な料理ピエロギを前にして、もうこれでお別れなのかという、少しセンチメンタルな感情を抱きながらの、最後の交流となりました。

「ラファウは一朝一夕にしてならず。」彼とご家族の方々が生まれ育ち、そして今も生活するこのナックオ。あの教会とオルガンがあったからこそあの演奏が、この町で生活しているからこそあのラファウが、そしてあのご家族がここにある。この地での触れ合いは、このツアーの中でも何物にも換え難い、できればこの日の出来事を全て真空パックにして、いつまでもいつまでも残しておきたい。

このナックオで過ごした数時間は、それほどかけがえのない思い出となって、私達の心の中に刻み込まれることとなりました。(終)

最後の日、ラファウの通うビドゴシチのアカデミーで

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記録:ポーランド市民交流友の会事務局 影山美恵子 e-mail: mieko@orange.ne.jp

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