( はじめに )5月31日名古屋国際音楽祭でブレハッチがロシア・ナショナル管弦楽団と公演するにあたり、主催者より「初めてブレハッチのピアノを聴く方のための原稿を」と依頼されました。すでにブレハッチファンの方には、すっかり熟知されている文面と思いますが、彼の生い立ち・人柄を初めて知った新ブレハッチファンの皆さんから、感動のお手紙をたくさん寄せられましたので、新たに掲載しました。

ブレハッチを訪ねて8:(名古屋公演プログラムより)

ポーランド市民交流友の会 影山美恵子

ラファウの原点、今も通う130年の歴史ある教会でオルガンをファンに演奏。ファン訪問の日(2007/3月)

 初めてラファウ・ブレハッチと出会ったのは、2003年の浜松国際コンクールだった。ただ単に「ポーランド人」と言う偶然で。

当時の浜コンは、数々の国際コンクールを制覇した顔ぶれが集結したことで話題となっていた。ラファウは書類審査で落選しオーデイションで拾われ、東欧の田舎から来た無名の少年だった。

『家のアップライトのピアノで練習していました。浜コンへ来る2ケ月前に、ワルシャワ市がグランドピアノを貸してくれたんです。』と、静かに話すラファウ.日本では信じられない質素な環境だった。

1次予選、ラファウの演奏が始まった。すると会場は、審査員だけでなく客席中がどよめいた。『あの子は誰!』と驚き、皆が目を見張った。ラファウの奏でるピアノは、他の演奏者にはない、美しい叙情詩が語られ、ショパンの純粋な愛が真っすぐに演奏されていた。華やかなコンテスタントの影で、マスコミに取り上げられる事なく、ラファウは誠に謙虚で控えめだった。私は彼を「ポーランドの新星」と、支援する事を決めた。

 浜コンで最高位となり、初めて自分のグランドピアノをその賞金で得たことは有名だ。3ケ月後、私は彼を訪ねて、ポーランドの首都からさらに遠い、ナックオの町へ行った。代々敬虔なクリスチャンの家庭に生まれ、ラファウも生後1ケ月で洗礼を受け、やがてオルガニストとして教会に奉仕したと聞かされた。

「ラジオで流れた曲を、その通りに人さし指で弾いては、私達を驚かせたのですよ。」と、ラファウの幼少時代の思い出を母は嬉しそうに語った。両親は音楽家ではないけれど、幼い我が子のすぐれた天分を知ると奔走した。ビドゴシチの音楽学校へ小学生の時から通わせ、両親はできる限りの全てを注いだ。

誕生の頃父が家族の楽器として購入したアップライトのピアノ。このピアノがショパン弾きを生み出した。(左)  ラファウの才能を見い出し、両親は小学生から音楽学校へ通わせた(右)

浜松から世界へ飛び立ったラファウ、2005年ショパンコンクールに優勝した。ワルシャワのコンクール会場は国際スター誕生の興奮に沸いた。渦中のラファウはいつも警備陣にガードされて、ポーランドの英雄と讃えられ「遠い人」になっていた。私には彼に会えるチャンスは皆無で、期待もしていなかった。しかし、両親とばったり出会う偶然に遭遇した。

『明日、教会のミサが終わったら、会いましょう。』と再会を喜んでくれた。フィルハーモニーホール前で一人待っていると、白い小さな車がするすると側に寄ってきて、車窓から家族そろって仲良く手を振っていた。

それは、ショパンコンクール優勝ガラコンサートの日だった。ラファウは、ひと回り痩せたようで、スーツがブカブカに見え、それでも青白い顔が嬉しそうに笑っていた。みんなで乗り込んだエレベーターの中で、「これ、プレゼントです。」と、私は直筆サイン入りのCDをラファウから手渡された。

浜コン後に『自分のCDが製作されたら贈ります。』と約束していた。私はすっかりそのことは忘れていたのに、覚えているなんて。しかも、こんな自分の人生の最良の日に。『すごい子だ。』と、私の心はグラリと揺さぶられた。それが「ブレハッチ・ジャパン・ファンクラブ」結成のきっかけの日だった。

昨年のラファウ来日時に、駐日ポーランド大使館で、「ブレハッチファンクラブ親睦会」を主催した。今年3月にファンクラブの会員20名と、ラファウの育ったナックオへ彼を訪ねた。

ファン訪問の日、母校で妹と一緒に演奏『雨に歌えば』/自宅でリクエスト10曲も演奏。ファンにとって一生の思い出の宝。2007/3月

出会いから4年。ラファウ・ブレハッチは国際ピアニストとして『ショパン再来』と絶賛されるようになった。しかし、彼の素晴らしい事は、決して驕りたかぶる事なく、謙虚で、感謝の気持ちを忘れないことにある。日本人が過去に置き去りにした言葉で『義理堅い』がある、ラファウはそれを心に秘めている。

『ラファウがショパン弾きといわれ、皆様から愛されるのは、神がそうなるように授けてくれたからです。』と、両親は話してくれた。

ラファウは演奏に出かける時、

『お母さん、演奏会が成功する様に、客席の皆さんが喜んでくれるように、神に祈っていて下さいね。』と、留守の母に託すそうだ。今日も、ナックオの教会で母と妹は、ラファウの願いを祈っているに違いない。(終)

ラファウ8歳、カソリックの特別な式典の儀式で、家族と。

教会で演奏するブレハッチ(2007/3月)

ブレハッチジャパンファンクラブ 連絡先ra_piano2005@yahoo.co.jp

ファンと会食(ナックオで)(左から)片桐ファンクラブ会長、ラファウ、筆者、ポ友の会会長ヤブオンスキ教授

弁解:写真撮影のため、テーブルのキャンドルを避けようとして、ラファウの方へ寄っているのです。影山

御覧下さい!☆ブレハッチファンクラブ親睦会報告

ブレハッチを訪ねて7/ドイツ〜ナックオの旅

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ラファウ・ブレハッチを訪ねてシリーズを御覧下さい。

☆ブレハッチを訪ねて 6:来日記念インタヴュー(06/11)

☆ブレハッチを訪ねて 5:音楽祭inワルシャワ(06/10)

ラファウ・ブレハッチを訪ねて.4 :「優勝後」6/6

ブレハッチ近況.インタビュー6月10日付、06

☆ブレハッチメッセージ 06.7.16

☆ブレハッチを訪ねて3.:ブレハッチファンクラブ代表片桐章利氏(2006/1/10)


☆ラファウ・ブレハッチを訪ねて2.:優勝!(2005/11月

☆ポーランドの新星ラファウ・ブレハッチを訪ねて1(.2004 /4)