5年に一度の開催、若きピアニストの登竜門とされる、国際ピアノコンクールの王者ショパン国際ピアノコンクールが、ショパンの祖国ポーランドのワルシャワで2005年度9月23日予備選から10月21日まで開催されました。

山本貴志さんショパンコンクール4位入賞!

おめでとうございます。

ショパンアカデミー学院ピアノセミナー修了生

2002ショパンアカデミー学院ピアノ夏期セミ報告(2002/9月)

友だちみんなに祝されて!!! ワルシャワフィルハーモニー会場(10/21ファイナル審査演奏後)

パレチニ教授夫妻に祝されて。ワルシャワフィルハーモニー会場

メデイアに質問攻め、堪能なポーランド語で答える.

サイン攻めも笑顔で答える。ワルシャワフィルハーモニー会場

誰にも優しい、誰にも気配りの山本さん。ワルシャワフィルハーモニー会場(10/21ファイナル審査演奏後)

アカデミー学院から特別証書が授与された(右からパレチニ教授、アカデミー学院学長、山本さん、大嶺未来さん)アカデミー学院・学長室内、10/25

2005年ショパン国際ピアノコンクール入賞は、国立音楽大ショパンアカデミー学院にとって、1937年エキエル教授(前ショパンコンクール審査委員長、元ショパンアカデミー学院学長)受賞以来、学院在籍中の学生の受賞者として、山本貴志さんは本学院最初の学生となる。素晴らしい功績です。

写真提供:神林杏子さん、森岡葉さん、前田満保さん、ショパンアカデミー学院

影山の追想  2002年山本貴志さんから、セミナーに参加したいと電話をいただきました。「担当教授の希望がありますか?」とたずねると、「ありません。」と答えてきた。「え?だれでもいいの?」と私は驚いた。「じゃ、先生(桐朋)と相談します。」

その時の山本さんは、パレチニ教授の存在も、ショパンコンクールのことも全く考えていませんでした。こうして山本さんは、担当パレチニ教授のショパンアカデミー学院夏期ピアノセミナー(ワルシャワ市)を受講しました。セミナー修了コンサートでは、それはそれは素晴らしい熱演でした。(参照2002ショパンアカデミー学院ピアノ夏期セミ報告) 興奮したパレチニ教授は、私の通訳を通し、山本さんにこう伝えました。『ワルシャワで勉強しなさい、その時は僕が教えるから。』。当時19歳の山本さんはポーランドを代表する教授からの言葉に、留学の決意を帰国途中の飛行機内で私に伝えました。「御両親に相談しなくてもいいの?」と私は心配しました。彼の決意は不動でした。

数カ月後、山本さんから連絡がありました。パレチニ教授が留学の受け入れを渋っている、、とのこと。「え!?そ、それはないですよ。」そこで、私は、山本さんとお父さんとでパレチニ教授を説得に、教授の来日時、愛知県知立市まで会いに行きました。教授は、「忙しい。」とか「門下生がいっぱいだ。」とか、シラフになったドランカーのように同じことをくり返しました。

2002夏期ピアノセミナー修了コンサート後(当時)/山本さん、影山、パレチニ教授・ショパンアカデミー学院にて

私は、「山本君は素晴らしいピアニストになります。彼を門下生にすることは、貴方のランクがさらにあがるということですよ。」と迫りました。

山本さんは翌年2003年からワルシャワのショパンアカデミー学院へ留学しました。その後は、彼の努力の賜物です。練習、練習、練習。体重も落ちて、顔つきも変わり、どれだけ苦労したか分かります。

2005年ショパン国際ピアノコンクール。受賞コンサートで、私を見つけたパレチニ教授は、満面の笑みで駆け寄り、「あの時、言われた通りになりました!」と。そして私達はガッチリ握手をしました。

山本貴志さんおめでとう!あなたの未来への大きな扉がワルシャワで開きました。

私の好きな言葉:一期一会(one chance one meeting. 「一つの出会い、一つのチャンス」それは Don`t lose your chance.)

入賞表賞式 ワルシャワフィルハーモニー会場 10/22

2005年ショパン国際ピアノコンクール入賞者日本演奏ツアーは1月20日から各地で開催されます。是非応援してください。

山本貴志さん:  1983年4月12日長野県生まれ。桐朋学園音楽部門を優秀な成績で卒業。現在、ショパンアカデミー(ワルシャワ音楽大学)でビオトル・バレチニ氏に師事。第56回プラハの春国際音楽コンクール(2004年)第3位。パデレフスキ国際ピアノコンクール(2004年:ビドゴシチ)第5位。第4回ザイラー国際ピアノコンクール優勝(2005年:ドイツ)

記録:ポーランド市民交流友の会 事務局 影山美恵子(2005年10/31)

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