ラファウ・ブレハッチを訪ねて:ショパン国際ピアノコンクール優勝

報告:ポーランド市民交流友の会 影山美恵子(2005/11月)By Mieko Kageyama POLJA

『20歳のスーパースターがついに誕生!ツメルマン優勝後の空白の30年間。ポーランド国民は、この日が来るのを辛抱強く待っていた。』と、ブレハッチの優勝を、国中が歓喜し熱狂した。「The Polish have spent difficult time to wait Blechacz for 30 years after Zimerman.」The Polish rejoice over a victory.

ポーランド雑誌WPROSTより(新しいツメルマンとよばれて

「国民の過大な期待、押し寄せるメデイア」そこから守るように、ブレハッチには、彼の家族の大きな支えがあった。The mass media attacked him and he was under pressure. He had great and warm support from his parents.

ポーランドメデイアは競争で取材した。どの雑誌もブレハッチ!

コンクール開催中も、両親と13歳の妹は小さな田舎町から300キロ離れた、ワルシャワのホテルに同宿し、ブレハッチと穏やかで静かな日常生活を再現し、いつも4人一緒だった。敬虔なクリスチャン一家は日曜日も、マスコミから隠れ教会へ通った。『両親のサポートに感謝しています。』とブレハッチはコメント。受賞式には、臨席したポーランド大統領も、スピーチの中で「両親の献身愛」を称え、会場は暖かい拍手に沸いた。During the competition, Blechacz has spent time with his family to be calm. He would like to thank his parents for great their love and kindness. In his speech at the prizewinner award ceremony, the Polish President praised his parents supporting their son.

(ワルシャワ)左から、筆者、妹パウリナ、と両親に囲まれて

『以下

ポーランドの雑誌『OZON』のアンナ・マルシェチコ女史(TV・新聞/社会部ジャーナリストとして活躍中)のインタビューに、ブレハッチは優勝後の心境を語った。This is the interview by pani Anna Maruszeczko in Polish Magazine OZON.

マルシェチコ女史(以後M) : たえずショパンと比較され、限りなくショパンの様だとか、ショパンそのものだとか言われていますが、それについてどのような気持ちですか?

ブレハッチ(以後B) : 僕にとってはとても嬉しく、光栄です。

M:あなたは、なぜショパンが好きですか?

B:全てのピアニストはそれぞれのレパートリーを、作曲者に敬意を示し演奏します。僕にとってショパンの曲の奥にある閃きや叙情が自分の内面に近く、自分にあっていると思います。ショパンは天才です。ショパンの音楽は、一瞬にして全ての情景を表現し訴えかけ、感動させ、聞き手に新しい発見を与えます。それを演奏することは大変難しいことです。だから、ショパンが好きです。

ポーランドのニューヒーロ誕生、ポーランド雑誌POLITYKAより

M:長期間のショパン国際ピアノコンクールでは、強靱な精神力と体力が必要だったと思いましたが、なにか特別な秘訣がありましたか?

B:強い精神力には、健康な身体が必要と思っています。時間が許す限り、ジムでトレーニングしたりジョギングをしています。2003年に浜松国際ピアノコンクールに参加しました。1次から最終審査まで3週間かかりました。積み重なるストレスと体力消耗で辛かったですが、それをやり遂げました。あの時の経験は、今回の大きな自信になりました。

精神面で、特別なことはしていません。絶えず楽観的に物事を判断するようにしています。長い先の計画はたてないで、明日の事、目の前の事に全力を尽くすように心がけていました。演奏前に集中できないことは大きなマイナスになります。それを妨げることは考えない、遠くへ追いやるようにしていました。「素晴らしい演奏ができる。」と、いつも言い聞かせて、自分の演奏、曲と一体化することに集中しました。

M:世間から優勝候補と騒がれていましたが、そのことに気づいていましたか?

B:はい、知っていました。でも、考えないようにしていました。コンクールの間は、マスコミ、ジャーナリストに会わないようにしていました。自分の演奏に集中すること、前向きな感情を観客にむけ、審査員席は意識していませんでした。

ポーランド雑誌ANGORA(ショパンの再来といわれて)

M:今年は、特にコンクールに向けての特訓をされましたか?

B:僕達は、優勝をもちろん目標にしました。しかし、それは一番大切なことではありませんでした。僕達はできる限りの事を準備し、コンクールに備えました。それは、コンクールだけでなく、リサイタルでも同じことです。

M:入賞者では、あなた以外はアジア出身ですね。どうしてこんなにアジア勢が進出してきたと思いましたか?

B:アジアでは日本しか知りませんが、私が日本に行って感じたことは、日本人は大変な勤勉家です。教育の組織もしっかりして、ピアノもよく練習していました。2番目に、日本人は逞しい精神力をもっていると思いました。

M:先生はどなたですか?

B:カタジーナ・ポポヴァ教授(ビドゴシチアカデミー学院教授)です。先生は優しく素敵な方です。最初の出会いがとてもよかった。僕達の間にはなにも問題はありません。時々、師弟間でトラブルがありますが、僕達は信頼しあっており、すでに5年間一緒です。僕は3学年ですから、後3年間先生と共に過ごします。

優勝決定!泣き出すポポヴァ教授(右)喜ぶ妹(左)ポーランド雑誌NEWSWEEKより

M:将来への計画は何ですか?

B:将来? 今週の計画は知っています(笑)。金曜日はカトビッチェ、土曜日はブロツワフ、日曜日はクラクフで入賞コンサートがあります。

2006年1月は入賞コンサートツアーのためにワルシャワフィルと一緒に日本へいきます。2月モスクワで行います。たくさんのオファーが入っています。

信じられません。一つのコンクールで僕の人生は大きく変わりました。僕は、コンサートだけでなく、勉強や練習、他のことにも時間を費やし、グッド オーガナイズ でやっていきたいと思っています。

M:ショパンコンクールの実況がインターネットで全世界にながれましたが、どう思われますか?

B:ショパンはいつも人気があります。特に日本では多くの若い人たちもショパンを愛しています。ショパン人気が永久に不滅であるのは、そのようなショパン愛好家のお陰です。ありがたいです。

M:ショパンコンクールを保持するために、改善すること、審査方法の不備とかを感じますか

B:良く分かりません。僕は演奏するだけですから。他のコンテスタントとも接触はしませんでした。コンクール会場での環境、システムについては良く分かりません。

M:結果発表後、ポーランド国民は総立ちで「STO LAT」 (good wish for you for 100 years、『君の100年間の栄光を祝う』ポーランドの祝いの歌)を合唱したり、旗を振りかざしたり、サッカーのワールドカップ優勝のような盛大な雰囲気でしたが。

B:幸せです。人々が僕の優勝をこんなに喜んでくれて、興奮してくれて、心から感謝しています。

M:ありがとうございました。あなたはポーランド国民の誇りです。 以上』

       月刊ショパン別冊号(1月25日発売)掲載

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ポーランド市民交流友の会会長ヤブロンスキ・ワルシャワ工科大学教授に祝福され(ワルシャワ)、リラックス!Very warmly received by prof.Jablonski Warsaw university of Technology, POLJA chair-man

影山の追想

ブレハッチとの出会い   2003年11月、浜松国際ピアノコンクールが開催され、そこに無名のポーランドの若者が参加した。はにかみ屋で遠慮深いラファウ・ブレハッチだった。1次予選、2次予選、マスコミはブレハッチを一切取り上げなかった。各国の高名なピアニスト達が注目され、ブレハッチは圏外であり、名前すら当初ブレチャッチ( Blechacz のchaはポーランド語でハ、英語のチャと異なる)と記載されていた。ブレハッチにとっては初めての海外だったらしく、とても緊張して孤立していた。ぜひ力になりたくて、安心してコンクールに集中できるように、同郷の同じ年頃の男性を通訳として紹介した。

無名だった彼が、浜松で最高位を受賞後、一躍脚光を浴び、ショパンコンクールでは期待通り優勝し、『時の人』となった。しかしブレハッチの素晴らしいことは、決しておごり高ぶることなく、いつも「謙虚で控えめ」であること。今後2度と現れない、21世紀のショパンの登場です。

浜松コンクールガラコンサート。浜松で2004/7月 (Hamamatus winner piano concert, 2004/July)

In November 2003, One young Pole participated at the Hamamatsu International Piano Competition. He was unknown. Many famous young pianists who got the first prize at other International Competitions participated. Nobody cared about him. His name was misspelled in Japanese. He was Rafal Blechacz.

It was the first long journey for him. He looked nervous and lonely. I really wanted to help him concentrate on the competition and do his the best. I introduced one Polish man as his translator who could help make Rafal relax. Finally he got the top prize at the Hamamatsu Competition!

After Hamamatsu, Rafal became famous and people took notice at him. This year he got the first prize at the Chopin Competition in Poland.

I would love to support him, because he has been humble and thoughtful since I met him.

He claimed that only after winning the Competition he can start working really hard and develop still further. It`s amazing that his career didn't make him proud.

Chopin has come to the twenty-first century.

●ブレハッチを訪ねて『プラハ〜ナックオ』:ファン旅行記 08.6

●『ブレハッチを訪ねて-11:プラハ〜ナックオの旅』2008,6/2-9

●音楽の友/5月号 掲載記事:ミラノでブレハッチに会う(海外取材、レポートとインタビュー)

音楽の友/5月号掲載 特集鍵盤道を極める匠たち『ラファウ・ブレハッチ、ショパンを語る』

2008/2月 ブレハッチを訪ねて:11 ミラノコンサート

2007/3月 ブレハッチを訪ねての旅-1 ミュンヘン〜ナックオ記事掲載その1(月刊ショパン、ムジカノーヴァ)/   記事掲載その2(ピアノスタイル)

RAFAL BLECHACZ ブレハッチを訪ねてビドゴシチ:9(07/9)Ukonczona Akademia

ブレハッチを訪ねて8:名古屋公演プログラム 5.31.2007 Program koncertu w Nagoi

ブレハッチを訪ねて7/ドイツ〜ナックオの旅 04/2007 Podroz do Nakla

☆ブレハッチファンクラブ親睦会報告 11/2006 Spotkanie fanklubu w ambasadzie

☆ブレハッチを訪ねて 6:来日記念インタヴュー(06/11) Wywiad przed przyjazdem do Japonii

☆ブレハッチを訪ねて 5:音楽祭inワルシャワ(06/10) Festiwal w Warszawie

ラファウ・ブレハッチを訪ねて.4 :「優勝後」6/6 Zwyciezca Konkursu Chopenowskiego

ブレハッチを訪ねて3.:ブレハッチファンクラブ代表片桐章利氏(2006/1/10)

ポーランドの新星ラファウ・ブレハッチを訪ねて(2004/6)

「ブレハッチジャパンファンクラブ」結成

ブレハッチを応援するための「ブレハッチジャパンファンクラブ」(代表:片桐章利)ブレハッチの活動を支援しながら、ブレハッチを通じて、クラッシク音楽の普及とポーランド日本友好・文化交流にも貢献する会として、発足されました。

問・連絡先:ブレハッチ ジャパン ファンクラブ事務局 :砂子祐子

e-mail : ra_piano2005@yahoo.co.jp fax: 053 523 1297

共催:ポーランド市民交流友の会

後援:駐日ポーランド共和国大使館

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