ピアノスタイル、13号(2006.3.18発売)特集「現在によみがえるショパン」掲載ラフぁうブレハッチ」掲載

21世紀のショパンが歩んだ道

ポーランド市民交流友の会 影山美恵子

 首都ワルシャワから北西250キロのビドゴシチ市・・さらに西へ30キロ、木々の連なる平原の先にある小さな田舎町、ナックオ・ナデ・ノテチョン。ラファウ・ブレハッチは1985年6月ここに誕生した。それより少し前、ブレハッチ家にやってきたのは一台のアップライトピアノ。彼の父が購入したそのピアノは息子のためでなく、『家族の楽器として』だったけれど、のちにそれがポーランドの新星『ショパン弾き』を生み出すピアノになろうとは誰が予想しただろう。

2003年浜松国際コンクールで、コブリン(2000年ショパンコンクール3位)と一位なしの二位を分け合って注目を帯びたブレハッチだが、その時まで彼は、このアップライトのピアノで練習していた。ピアノは心とイメージで演奏するもの・・高価なピアノが無くても、彼の眼前には詩的な風景が無限に広がっていた。

 『僕が幼かった頃、父は趣味でよくピアノを弾いていたのを覚えています。そうやってピアノの音色を聞いていたからでしょうか、母が言うには、ピアノまでヨチヨチ歩いて、テレビやラジオで流れた曲を、人指し指でその通りに弾いていたんだそうです。』と嬉しそうに話すブレハッチ。

「あなたの才能を最初に見いだしたのは誰?」と尋ねると、即座に「両親です。」と答える。彼の笑顔は家族愛に満ち、優しく穏やかである。

妹と通いなれた教会前で(撮影:影山)

父は会社員、母は専業主婦、7歳年下の妹が入る。家族は代々敬虔なクリスチャンで、彼も物心ついた頃から、両親に手を引かれ教会に通っていた。そしていつしか教会のオルガニストとして奉仕するようになる。「村の人たちは彼のオルガンを何よりも楽しみに教会へ通っていたんですよ。」と母は語る。

教会でオルガンを弾く演奏するブレハッチ(撮影・影山)

 やがて息子の才能に気づいた両親は、その才能をなんとか開花させたいと奔走。そんな折、「ビドゴシチには毎年ルービンシュタイン国際コンクールが開催される。著名な審査委員が来るから、ラファウの演奏を聞かせてはどうか?」という友人の提案を受け、そこで出会ったのが、現在師事しているカタジーナ・ポポヴァ=ズイドロン教授(国立音大ビドゴシチアカデミー)だ。

 ポポヴァ教授の指導を受け、彼がめきめきと才能を発揮し始めた頃、彼女はブレハッチと両親に「私が教えることはもうありません。もっと国際的に有名な教授については?」と、何度となく薦めたという。それでも彼はポポヴァ教授から離れることはなかった。ショパンコンクールで優勝後も、「僕は教授に学んでいく」とブレハッチは語るほど、強い信頼の絆と深い師弟愛その頃と変わらないのだ。

ビドゴシチアカデミー練習室で教授と(撮影・影山)

 2003年浜松国際ピアノコンクールの際、当時18歳で無名のブレハッチは、書類審査で落選してしまう。しかしその後のウイーンでで行われたオーデイションで復活し、前述とおり輝かしい結果を残した。

さらに、カサブランカで開催された第4回モロッコ国際ピアノコンクールに堂々優勝。両コンクールの審査員を務めたピオトル・パレッチニ教授(ショパンアカデミー)は、

『僕を除くほかの審査員達は、ブレハッチのことを全然知らなかった。でも、彼が演奏し出すと、みんな息を飲んで驚いたんだ。「あの子は誰?」ってね(笑)。若い演奏者はテクニック指向で、がむしゃらに演奏する傾向がある。しかしブレハッチの演奏は彼等と違う。詩情にあふれるロマンテイックな音楽性で、審査員達の注目を集めたんだ。ブレハッチのショパンは素晴らしい。』と彼を絶賛した。

 

 そして現在、ブレハッチは「時の人」となり、多忙な日々を送る。かつて『教会のオルガン弾き』だった彼を恋しく思うのは、村人だけではなく、ブレハッチ自身かもしれない。

「スーパースターのあなたを、誰もが首都ワルシャワへ連れ出そうとするのでは?(笑)」という質問に、ブレハッチは「そう思っている人もいるかもしれませんが、僕には、誰も言ってきません。(笑)」と答える。きっと両親は、この土地に流れる静かな『時』を、少しでも長く彼と共有していたいのだろう。

家族と自宅で(撮影・影山)

「彼は、サッカー観戦や、仲間とビールを飲むといった、大抵の若者が興味をもつことには関心がありません。彼の喜びは、ピアノを演奏することと、観客にその演奏を喜んでもらえることです。この二つがブレハッチの人生すべてです。」と、ショパンコンクール優勝後、ポポヴァ教授は語っている。

 ブレハッチのショパンコンクール優勝に『ツメルマンの再来』と、ポーランド中が歓喜し熱狂した。もちろんコンサートの申し出は世界中から殺到しているが、「演奏会だけで疲弊してしまうことのないよう、 じっくりと勉強もして、常に新しい自分を見せて行けるように、レパートリーを広げて行きたい。」と彼は静かに誓い、

「いつかツメルマンと一緒に演奏できたら光栄です。」と、尊敬する同郷のピアニストについて恥じらいながら遠慮がちに語った。

輝く栄光の渦中にいても、絶えず謙虚なブレハッチ。21世紀のショパン登場であ

る。

ワルシャワ市、ショパンコンクール日本凱旋ツアーから帰国後のブレハッチ、影山

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